7月9日(土)~10日(日)
に宮城県南三陸町にボランティアに参加してきました。
ボランティアに参加していたご近所さんの
「野次馬でも役立たずでもいいから、被災地に行って被災地の現実を
見たほうがいい」の言葉に背中を押されて。
丁度募集していた市の社会福祉協議会災害ボランティアバスパックに
早速申し込み、出発の1週間前に、同じ参加者との顔合わせや作業内容、
装備等の説明会がありましたので、準備もしっかり整えること
ができました。
日程
8日 22時に市を出発
9日 9時から16時 ボランティア後鳴子温泉宿泊
10日 午前中ボランティア活動
費用
宿泊代と食事代、飲料代は参加者負担。
バスは大型バスではありますが、ウィラー社のような
快適な大型バスではないので、腰がちょっと痛くなりましたが、
その分小回りがきくため作業場までバスが入ることができ、
逆に便利でした。
南三陸町に入ると、胸が締め付けられる光景が。
関東の人にとっては、鎌倉から茅ヶ崎までの海岸線の町
が流されたようなものでしょうか。
以前の南三陸町の姿が全く想像できません。
さて、お手伝い
南三陸町の災害ボランティアセンターで、
その日の仕事とのマッチングをしますが、
これは社会福祉協議会の担当の方が窓口になりました。
9日土曜午前
午前中は男女分かれて、男子はガレキ撤去、
女性は被災者のお宅の草刈りと、仮設住宅にいる子供たち
のお世話。
私は、おじいちゃんと息子さんとお孫さんの3人暮らしの
お宅で、草刈りをしました。
私は草むしり、草刈は全く苦にならないのに、
途中、おじいさんが気を使ってくださって、カップのかき氷を
ふるまってくれて、逆に申し訳なく思いました。
おじいさんの家はホタテの養殖業をされていて、この津波で
網からすべてなくなってしまった。
ホタテが育つまで4年かかる。
その4年間をどうして生きていけばいいのか、と話されてました。
新聞に北海道から稚貝が南三陸町に送られると書いてありましたよ、
と伝えると、ほんとか!?っと目を大きく開き、その目の輝きが
今でも印象に残ってます。
家の中には、大漁旗も飾ってありました。
1日でも早く、南三陸町のすべての大漁旗がこの海に掲げられますように。
最後におじいさんから、「平塚の七夕に行ったことあんだけど、
落ち着いたら行くべな~」
お待ちしてますよ~!!
9日(土曜)午後
今後は山に入り、土地を開墾のお手伝い。
南三陸町沿岸には田畑があったのですが、津波ですべてが
なくなってしまったのだそうです。
山を切り開き、そこに生活の場の一部として、もしくは
畑を作るため、まずは、木や笹を刈っていく作業です。
とにかく根部分だけを残して木を伐り、切った木を山の
上から下に運びます。
かなり暑かったので、40分間隔で休憩。
同じボラティア参加者の方からいただいた塩タブレットが
効果てきめん!
これは海でも使える!
最後の方はもう、頭真っ白です。
開けた場所からの風景は最高のご褒美でした。
穏やかで綺麗な海。
次回、来たときはこの土地がどうなっているか
見に行きたいな。
今日のお手伝いは16時で終了。
南三陸町で営業しているガソリンスタンドで給油。
このガソリンスタンドには、本当に頭が下がりますとした言いようがありません。
南三陸町から約1.5時間の距離の鳴子温泉で癒されました。
10日(日)
今日は波伝谷という場所で、土嚢つくり。
来月に、ダイバーの海のボランティアが入り海のがれきを
撤去したのち、養殖の稚貝を仕掛けるそうです!
土嚢は、その稚貝の重りにするためのもの。
お手伝いする場所は、波伝谷港。
バスでその場所まで移動し、準備をしていると、グラグラ~
地震です。外にいるのでさほど揺れは感じないし、
緊急地震速報もないから、準備を続けていると、
漁師の方がすっとんできて、「津波警報が出てるから避難して」
バスに乗り、高台に避難。
バスの中でテレビを見ながら状況を確認。
さっきまでいた場所がテレビに映っていました。
昼まで津波警報は解除されず、結局土嚢つくりはできず、
歯がゆい思いでした。
震災があってから、余震やいろいろなことで中断や遅くなること
を余儀なくされ、被災者の方々はどれだけ耐え、そして
今もなお耐え続けているのだろう。
午後1時に南三陸町を出発し、茅ヶ崎には23時着。
疲れもなく、日常に戻りました。
できれば、また来月、再来月、長く継続してボランティアに
参加したいと思っています。
ご近所さんのいうとおり、多くの人が
とにかく行ってみてきてほしい。
現場でしか感じられないこと、そして
確かにそこで歴史が動いています。
まだまだ、ボランティアバスを利用して行くのだ~!